HSPが抱えている羞恥心
HSPの人は神経が高ぶりやすい。
神経が興奮しやすいとも言う。
人と接しただけで、非常に動揺してしまう。
『自分は何か変なことを言わなかっただろうか?』
『こういえば良かったのではないか?』
『自分の言い方は失礼だったかも』
『あの言葉の意味はどういうことだろう?』
と、さっきの会話を細かく反省しては気にしすぎてしまう。
これはHSPが自分に高い要求を課していることと関係しているかもしれない。
自身に課した高いルールゆえ、何をするにしても日常の会話ひとつにもいちいち反省することになってくる。
やっかいなのはそれだけではない。
先ほどまで会話していた相手の表情や声、相手の姿形が脳裏にずっと残像のように映像化されている感覚。
相手が自分の中に入り込んできて頭の中が占領されるような感覚。
人により個人差はあると思うけど私の場合、それがたいてい30分は続く。
誰かと話し込んでその人と別れてから、動揺が収まるまでの時間を何度か計ってみたことがある。
私の場合、30分ほどの間は非常に強く動揺していた。
30分ほど経過して、ようやく自分の普段の精神状態に少しづつ戻っていく。
また、HSPには会話の内容について反省してあれこれ気に病むこと、相手が自分の中に入り込んでくるような感覚。
実はそれら以上にやっかいなものがある。
自分自身の気持ちが何だか気恥ずかしさに包まれる感じがすることだ。
相手に失礼なことは何もしていないはずなのに、相手に失礼なことをしたかのような、また自分が失態をさらけ出したかのような気恥ずかしさに苛まれる。
とてもソワソワして落ち着かない。
自分の身をどこかに隠してしまいたいような気持ちになる。
それを一言で羞恥心というのだろう。
HSPはたいてい自分に自信が持てず、自分の言動に対して、又は自分という存在に対して羞恥心を抱いている。
自分が何か悪いことをしたわけでなく、何気なく会話をしただけであっても、いつも理由もなく羞恥心を感じてしまう傾向にあるようだ。
羞恥心とは自分の何かが間違っているのではないかという予感、
それが明らかにされてしまうのではないかという不安が入り混じったもの。
恥ずかしくて自分の身を隠してしまいたい気持ちにかられるもの。
神経の興奮がHSPを引っ込み思案にさせている!?
HSPはこんな風に人と接するたびに神経が興奮したり、羞恥心に苛まれたりしながら普段の精神状態に戻るまでしばらくの時間を要することになる。
人と接した後に動揺してしまう体験をするたびに、いたたまれない気持ちになる。
そうしてHSPはきっと思うだろう。
人付き合いをするだけで、いちいちこんなに動揺してしまうのは辛い、もう嫌だ。
できることならこの不快でたまらない動揺や神経の昂りを避けたいと思う。
いちいち動揺してしまう人付き合いを避けたい気持ちになる。
人と接するたびに動揺する不快感を毎回毎回自分で体験し確認するうちにそう思うようになってくる。
こんな繰り返しがそのうちHSPを引っ込み思案にさせているのかもしれない。
HSPが内気で引っ込み思案と思われるのは、強い神経の高ぶり、興奮状態に原因があるかもしれない。
内気、引っ込み思案というのは後天的につくられた性格で、生まれつきの性質とは区別される。
HSPが持って生まれたものは、内向型、敏感さ、神経の過敏さや興奮しやすさなどの特徴である。
生まれつき引っ込み思案という気質がはないように、HSPはもともと引っ込み思案ではない。
HSPと羞恥心の関わり
もともと日本人は羞恥心に縛られがちだ。
日本には『恥の文化』というものがあるくらいだから。
この文化はこれでマナーや思い遣りから発生した良い文化なのかもしれないけれど。
縛られ過ぎたり、HSPのように自分の存在自体に羞恥心を持つようにまでなると、とても苦しい。
HSPのいきすぎた羞恥心(本人はいきすぎていることにも普段気づいていないが)。
これは敏感なHSPが子供時代に、親との関係で満たされなかった思いに由来しているのかもしれない。
特に、満たされない子ども時代を送った人は、羞恥心が芽生えやすくなります。
たとえば、次のようなケースを想像してみてください。
●お父さんかお母さんに、何かを見せようとしたり、何かをあげようとしたときに、無視されたり、突っ返されたり、叱られたりした。
●母親の感情に敏感な小さな子どもが、母親の膝にはいっていき、首元に抱き付くと、母親がすっと立ち上がり、「忙しいの」「いい子にして向こうで遊んでらっしゃい」と言う。
こうした子どもたちは、その体験から自分がしたことは間違っていると感じるでしょう。
そして、その子が思いやりを示したいと思うことを恥じるようになるかもしれないのです。
その子は、思いやりを示すことを完全にやめてしまうか、さらに悪いことに、思いやりを示したいという衝動が湧き上がっても、自分ではそのことをまったく感じなくなってしまうかもしれません。
参考 イルセ・サン(2016)『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』枇谷玲子訳,株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン.
こういったことはHSPの親子関係ならよくあったことかもしれない。
その昔、まだHSPの概念が日本に広まる前の子育てにおいて、自分の子どもが内気で人見知りであることを親たちは何とか変えようと思った可能性がある。
外向的で社交的であることが評価される時代の風潮もあったかもしれない。
実際に変えようと行動に出ないまでも、引っ込み思案な我が子を快くは思わず、親が恥じたかもしれない。
甘えてくる子供をありのまま受け入れることができなかったかもしれない。
内気な我が子の存在をありのまま受け入れることが難しかったのは、親たちが無知だったからだろう。
決して愛がないことにはならないだろうが・・
1人静かに室内で本を読んで過ごす内向型の我が子に親は心配そうな顔をしたり「外で元気よく遊びなさい」と外遊びに追い出したかもしれない。
そうして内向型HSPは子ども時代に自分の存在や行動を恥じるようになったかもしれない。
HSPが羞恥心を解消させる方法
HSPが羞恥心を抱く事柄の例としては、次のようなものがあります。
●ほかの人が遠くに行ってくれたらいいのに、とときどき願ってしまうこと
●素早く返答できないこと
●競争について行けないこと
●ほかの人のように物事を軽く受け止められないこと
●ほかの人よりも先に疲れてしまうこと
●自分では興味の持てない表面的な会話をみんなが楽しそうにしていて、途方に暮れてしまうこと
参考 イルセ・サン(2016)『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』枇谷玲子訳,株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン.
HSPが持つ羞恥心を解消する一番の方法は、
『自分の恥ずかしいことや思いを誰かに打ち明ける』ことだと思う。
HSP当事者会などがあれば、そういう場で自分の羞恥心について話す。
みんな同じくHSPなので、きっと同じ心情や体験をしていると思われるし、すんなりあなたの体験や感情を受け入れてもらいやすく、自分にも同じ経験があるという話も聞けるだろう。
また、そういう自助グループを見つけにくければ、カウンセリングなど信頼できる専門家に聞いてもらうことも有効だ。
恥じていることや隠したいことが多いと、会話をするのは難しくなります。
秘密を守ることにエネルギーを使うため、言葉がすらすらと出てこなくなるのです。
HSPが心を開く勇気を持つ1つの方法は、ほかの敏感な人の話を聞くことです。
参考 イルセ・サン(2016)『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』枇谷玲子訳,株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン.
自分が恥じていること、恥ずかしいと思って誰にも言えずにいることを話すことによって初めて、日常において心を開いて誰かと会話できるようになるものなのだろう。
恥ずかしい思いは受けいれてやることが大切
また、いつも失敗しないよう、恥をかかぬよう完璧にしようとしすぎるHSPには、認識を変えることも必要だろう。
恥ずかしい思いをした瞬間、人は
こんなみっともない自分はだめだとか、
こんな失敗や欠点や弱点を見られてしまってもう終わりだとか、
自分は劣っているとか、
馬鹿にされてしまうとか、
愛される価値がないとか、
不安や恐怖心からそんな声が自動的に聞こえてくるかもしれない。
心は恐怖心でいっぱいになってしまう。
恥ずかしい思いをすると同時にとても怖くて不安な気持ちになる。
特にHSPは『恥ずかしい』と『怖い』がセットになっているかもしれない。
HSPにとって
恥ずかしい=怖い
と感じるようになっていないだろうか?
けれど、そんな時こそ認識を変えて自由になってみよう。
恥ずかしいとは恐怖ではない。
恥ずかしい=怖い
ではなくて、
恥ずかしい=恥ずかしい
恥ずかしいは、イコールただ恥ずかしい・・だけだ。
恥ずかしいね(笑)
あぁ、恥ずかしかった(笑)
でいい。
そのように自分で受け止めてやれば羞恥心はそれ以上大きく膨らむことも恐怖心へと変わることもなく、そのままどこかへ消えていくだろう。
恥ずかしいはただ恥ずかしいというだけだ。
恥ずかしい思いをする前と後で
あなたの価値は何ひとつ変わっていない。