HSPの日常生活の工夫①
外側からの刺激を高い感受性で処理してしまうHSPは、生活していくうえで様々な工夫が必要になる。
HSPが疲れやすいのは、普通の人よりも多くの情報を集めてしまうため。
外からの刺激はもちろんのこと、妄想や空想、フラッシュバックなど内側からの情報も引っ張り出してしまうため、HSPの脳は常に情報の過剰負荷となって、パンク寸前なのだ。
また、他人の情動に強く影響されて疲れることも多い。
これは恐らく、ささいな変化や他人の感情に気づきやすく、また生得的に傷つきやすい特性を持っているため。
相手の表情、声の出し方から相手の感情を読み取ってしまうので、人と会ったり話すだけで相手が自分の頭の中に入り込んでくるような、
そんな感覚にしばらく占領されてしまい、しんどくなることも多い。
もう目の前にその人はいないのに、頭の中に先ほどの相手の表情や声が余韻のように残ってしまい、かるい興奮状態にあるのだ。
HSPが感じている余韻は、脳が先ほどの対人刺激を処理するのにかかっている時間なのかもしれない。
人と会うだけでいちいち刺激に強く反応し、脳がその処理に時間をとられ過剰負荷状態になっていてはしんどいものだ。
そこで私がよくやる工夫を紹介する。
視界からの情報を大幅に減らす
これは、近視で眼鏡やコンタクトレンズを使用している人にしか適用できないが、効果が感じられるので、参考にしてほしい。
外側からの刺激を大幅に減らす手段として視力を落として過ごしてみる方法だ。
人と会う時や長時間誰かと共に過ごさなくてはいけない場合や、人と外食する時などはコンタクトレンズや眼鏡をはずしてみる。
緊張も半減するだけでなく、周りが気にならなくなるから不思議。
コンタクトや眼鏡をして視界が鮮明にクリアに見える状態のときは、誰かの視線が気になってしまうし、店員さんが近くを歩き回るのも気になり、隣の席の人たちも気になってしかたない。
ただその場にリラックスして居ることすらままならない。
でも、視界がぼんやりとしている時は、なぜかその場にいることが平気になる。
ぼんやりとした世界は見えにくくて一見不便に思えるのだけど、HSPの私にとってはただその場にいることを可能にしてくれるので使える。
突き刺さるような視覚の刺激がなくなり、まぶしすぎることもなく、また鮮明ではないため、視覚から入る情報量を半減させてくれる。
また、自分がぼんやりしか見えていないので、相手の視界もこんなものだと脳をだませているのかもしれない。
私が単純なだけかもしれないけど、自動的にそう誤認できてしまえるから。
ある意味これは私にとって正解らしい。
HSPを自覚する以前は、他人もみんなも感覚は同じと思っていた。
人がたくさん集まる場所やパーティや公園、外での食事。
私はいつも 外界の刺激に過剰にさらされて、ドキドキ興奮状態で、もともと自尊心も低いため、おどおどして自意識過剰になり、他人の視線が余計に気になった。
誰もが皆、こんな突き刺さるような視界の情報をとらえながら過ごしているものとばかり思っていた。
私意外の多くの人たちは堂々とその場を楽しんで、リラックスして過ごせるからすごいなあ、疲れ知らずでタフですばらしいなと思っていた。
それに比べて私はこういう場で人目を気にせずリラックスして過ごすこともできなくて、情けないな、疲れやすくてなんてダメなんだ・・と思っていた。ヘンテコでダメな自分、幼稚なのかも、とにかくダメダメだな・・と自分を責めていた。
そんな様子が自分だけだから。自分だけおかしい、何か変だと思っていた。
この感覚は少数派なのだから自分だけ変と思うのも今ならわかる。
これは少数派のHSPの感覚であって、実は多くの他の人たちはもっと鈍感な世界にいるのだから。
私たちと同じようには見えていないということだ。
私たちHSPが自分の視力を落としたようなぼんやりとした世界にいる時の感覚が、非HSPの人たちの世界かもしれない。
生まれてからHSP以外の脳で生きたことはないので、想像するしかないのだけれど。
もちろん視力的にはHSPも非HSPも何ら変わりない。
非HSPでも視力がいい人や眼鏡などで視力矯正している人は遠くまでしっかり見えているだろうし、相手の表情や顔のしわまではっきり見えていると思う。
見えているけれども、でもHSPの感覚ほどは何も感じとっていないし、情報をそこまで集めれていないし、そんな風には見えていないということ。
非HSPの脳は細部や他人の感情まではキャッチしていないらしい。
それなら、HSPの私たちも物理的にキャッチしないように工夫すれば良いのだ。
その場にいることを楽しめるようになる
以前は人との食事も肩が凝るほど緊張していたが、今はそこにいるだけでいい。
ここにいていい、食事してその場を共有するだけでいいという過ごし方が可能になってきた。外食が好きになり、楽しめるようになった。
その変わり色んなものが見えていないことの弊害も多少はある(笑)
メニューはのぞき込まないと見えないし、初対面の人を紹介されても顔をおぼえられない。
もし隣の席にたまたま知り合いがいても最後まで気づかないままだろうから、無視していると誤解されるかもしれない。
相手のコップに飲み物がなくなっていても気づかない。
私が何か話した後の相手の反応やリアクションを読み取れない。
楽しそうな笑い声は聞こえていても、その場の雰囲気を大雑把につかむぐらいの感じになる。
それでもだ。
そうではあっても、別に仕事の大事な商談中でもなければ、会議やサービス業をしている最中でもない限り、プライベートでは、このぐらい気兼ねないほうがいいのかも。
このぐらいの自分でいる方が人付き合いを続けられる気がしている。
それに、気が利きすぎるよりも気が利かないぐらいの人のほうが実は好かれる。
自分自身も幸せでいられるだろうし。
自分が疲れることなく人付き合いし、また次も人付き合いをリラックスして楽しもうと思えるのなら、これは方法の一つと言える。
もちろん、はっきりと見えないといけない場面も多々あるので、そんな場面では眼鏡やコンタクトは必ず使用してね(笑)
例えば、車の運転の際は一定の視力以上なくては違法ですし危険なので厳禁。
HSPが限られた場面でリラックスするための工夫の一つとして使い分けられたら、少しは人付き合いが気楽になるかもしれない。